情緒的プレゼンには気をつけろ(安部司講演会その2)

 安部司は「有機JAS判定員」の資格を持っているそうだ。「有機JAS、農薬使っていません」といった。
 ためらわず、安部の真正面に陣取っていた私は、
有機JASでも、二十何種類かの農薬は認められているんじゃないですか?」
と突っ込んだ。すると安部は、「確かにボルドー液なんかは認められてます。けどうちでは使ってません」と繰り返した。法で認められている以上のことをやって、ホントに優位性があるのかね。疑うことが肝心である。
 安部は、「(物質の)話はしません」「覚えなくていいですよ」と言った。『食品の裏側』でも、食品添加物は1500種類もあるから、個々の添加物を知る必要はない、知らないものは避ければ良い、と言っている。
 これは、一種の愚民化政策というものだ。
 地球温暖化問題でも、北極の氷山が崩壊する映像とか、シロクマがおろおろする映像とか、ツバルが水没する映像とか、とかく映像屋、マスコミが好きな、情感に訴える映像というものがよく出てくる。温暖化問題についてはこのブログでは触れない。だが、真の理解にはどうしても理屈が必要だ。情感を煽るやり方は、個人的には百害あって一理なしだと思う。
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カイガラムシの死骸(コチニール色素)」「カイコの糞(銅クロロフィルナトリウム)」「微生物が出すヌルヌル(キサンタンガム)」「リン酸、リン鉱石、鳥の糞石」などの言葉を口にすると、聴衆から「うわ〜っ」と声が漏れる。「タール色素、今はコールタールからは作ってないです、石油」といっておいて、舌の根も乾かぬうちに「タール系色素、コールタール」と言う。「連続複合摂取」、『複合汚染』を意識してのことだろう。ビタミンCと安息香酸塩が反応してベンゼンが出来るというのは有名な説だが、これは既に論駁している通り、仮にベンゼンが出来ても影響を及ぼすほどの量ではないし、ビタミンCも安息香酸塩も、天然の果実にも含まれるものだから、添加物としての摂取だけを心配するのはナンセンスである。
ダイオキシン」も安部が繰り返したな。ダイオキシンはdioxin、“di-”は化け学をかじった人には御馴染み、“2”を意味する接頭辞だから、カタカナで表記するなら「ジオキシン」のはずだ。ところが何故か、「ダイオキシン」、おそらく語感が“die”と結びつくのだろう。
 安部の論法は、よくある「合成=危険」「天然=安全」ではなかった。「天然物質でもアカネ色素のように禁止されるものがある」と。私が突っ込んだ、トリカブトも天然だという言葉も言っていた。
 アカネ色素のような天然物質は「既存添加物」といって、十数年前までは規制そのものの枠外だった。それを、長年慣用的に使われてきて、安全だと思われるものを暫定的にリスト化して、追って科学的な安全性評価を続けているというものである。そこで、アカネ色素は発がん性を疑われて使用禁止になったわけだ。
 それと、既に厳重な安全性評価が行われている(といっても、99.999%くらいは安全だと言えるけど、100%ではない。それは悪魔の証明だから)食品添加物を同列に論じるのは間違っている。
 論旨のすり替え、典型的な詭弁論法という奴だ。

(続く)