外部ブログ「非公正ブログ3号館」

非公正ブログ3号館

初めに結論ありき、「添加物依存 危うさ」

朝日新聞1月5日付けの経済欄「消費者の時代」なる連載で、安部司なる人物へのインタビューをまとめる形で食品添加物批判が試みられている。この怪しげな記事に物申す。
記事いわく、

* 「粉末スープはすべて、白い粉の添加物だけでも作り出せることを知ると、たいていの人は『気持ち悪い』と顔をしかめる」
* 「今は安全とされる添加物も、明日には禁止の対象になるかもしれない」
* 「クエン酸は疲れをとる働きがあるとされる。では、合成のクエン酸をなめればいいのか。梅干などクエン酸が多く含まれる伝統的な食品を食べればいいのに」

ここにみられるのは、とにかく「合成」は合成であるがゆえに良くないというステレオタイプ固定観念だ。

粉末スープが気持ち悪いというが、たとえばバナナの香りとかも簡単に「化学物質」から再現できるので、こういうことが気持ち悪く感じる人はバナナも口にすべきではない。「明日には禁止の対象になる危険性」もよく持ち出されるステレオタイプな問題提起だが、その種の危険性は、天然物質や伝統食品に含まれる物質にも同様に存在するのだ。

このように、遺伝子組み換え食品の問題と同じく、反対派・危険派が論拠とする危険性は「天然・自然のもの」についても指摘可能なものばかりであり、ゆえに彼らの主張の根拠には本来なり得ないものばかりなのだ。

なお、安部氏は「クエン酸と安息香酸からベンゼンが合成されうる危険性」も持ち出していた。私は生化学の専門家ではないので議論に深入りできないが、その危険性は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%81%AF%E9%A6%99%E9%85%B8
によればほぼ無視してよい低いもののようである。

そんなわけで、この記事は、「消費者が添加物に依存している」ことの何が「危うい」のか、まったく説明できていないのである。

だが、この手の人たちはそんなことでひるんだりしない。彼らとしては論理や科学的思考などどうでもよい話なのである。

挙句の果てに、原材料表示を見て「素直に素朴に」添加物を拒否せよ、ときた。

ああ、ほんとに馬鹿。

こんなデンジャラスな主張を野放しにしてはいけない。また、こんないい加減な主張を鵜呑みにして記事を書いてしまった朝日新聞の「消費者の時代」担当記者も厳しく批判されるべきである。

「素直」だけで片がつくなら警察は要らないんだよ。それどころか、世の中の偏見や差別は結局みんな「素直で素朴な」判断から出ているのだ。これは誰しも理解しておかなければならない重要な真理である。だというのに、こういう言葉には何か絶対的な善というような印象がつきまとい反論の矛先が鈍りがちになる。そこが非常にまずいのだ。素直だの素朴だのといった志向はこの種の議論からは念入りに注意深く断固として排除せねばならない。 
さて、安部司という人についてググってみたのだが、どうもこの人のスタンスは良くわからない。

http://www.jimbo.tv/videonews/000257.php

かつて食品添加物を専門に扱う商社のトップ営業マンだった安部氏は、自分が売っている添加物に誇りを持っていた。添加物のおかげで大勢の人が手軽に様々な種類の食品にありつくことができていたと考えていたからだ。添加物は多くの人に本来は高価な食品を安価で届けることを可能にし、同時に消費者のコンビニエンスと企業の利益にも貢献できているとの自負が、安部氏にはあった。

 しかし、ある日自宅の食卓で自らが開発した100円ミートボールを自分の子供たちが美味しそうに頬張る姿を見た時、安部氏の考えは根底から変わった。それはとてもミートボールとは呼べない「添加物の塊」でしかないことを、開発者の安部氏が誰よりも知っていたからだった。

変だろうこれ。わが子の姿を見るまで自分がなにを仕事としているのかを理解していなかったというのか? おいしそうに穂奪っていたのが赤の他人だったら彼は依然として「自負」を持ち続けていたのだろうか? 「添加物のかたまりでしかない」ことは最初から認識していたというのに? まったく思考が矛盾している。 まあ彼のような人にとっては論理の整合性などどうでも良いのであろうが。

〔1月20日追記〕
それにしても、仮にもジャーナリストを自称する者が、こういう怪しさ爆発の主張を鵜呑みにして紹介記事をばら撒いているというのはどういうものだろうか。プロならばもう少し頭を使って欲しいものである。ただし、そのブログからトラックバックを通して当記事に流れてきている読者が毎日少数だが確認できることが少し救いである。