なぜ、安部司を問題にするのか

 このブログを始めるに当たって書いたことだが、私が何故安部司を問題にするか、掘り下げて考えてみたい。

『食品の裏側』が出て以降、添加物バッシングが再燃した。この本よりあとの添加物バッシングの殆どが、『食品の裏側』を元ネタにしている。

 安部本人を改心させるのは不可能であろうが、何故こうも、食品業界や研究者の間では全くの無名とされる、たかが一人の「神様」の本の内容を、ろくに論証もしないまま、メディアは無批判に広めたのであろうか? そこが私が一番疑問を持っている点であるし、添加物が怖いなら怖いなりに知ろうとする努力をすべきである。

買ってはいけない』は、『週刊金曜日』という左慾雑誌からスピンオフしたということで叩き甲斐があったのだろう、『買ってはいけない買ってはいけない』のような二匹目、三匹目のドジョウを狙ったような批判批判も次々出た。ところが、安部に関する目だった動きはない。あっても、なかなか表に出ない。

 こうなると、一人で論陣を貼ってでも、声を上げなければいけないと、覚悟を決めたわけである。

 私自身は食品業界の人間ではないし、専門知識があるわけでもない。ところが危機感は人一倍強く感じた。安部のことを私は「添加物のゲッベルス」と評したことがあるが、そのゲッベルスが言ったといわれている(実際は違うらしいが)のが、次の言葉である。

「嘘も百回言えば真実になる」

 これは放っておけない。

 前回名前を出した、松永和紀氏や高橋久仁子氏にしても、決して食品添加物を無批判に推奨しているわけではない。フードファディズム批判で知られる高橋氏は、かつて塩で保存性を高めた野沢菜漬けは色が抜けてしまっていたが、今の保存料や色素を用いた野沢菜漬けは減塩で青々としている、これは食文化の破壊に繋がるのではないかという懸念を示している(『「食べもの情報」ウソ・ホント』)。

 食文化の問題と、食の安全という科学、リスク評価の問題とは別個である。そこを混同するからおかしなことになる。安部なんかも、(おそらく意図的に)ごっちゃにしている。

 保存料のリスクと、保存料無添加の食品で細菌性食中毒になるリスクのどちらが大きいか、天秤にかけるまでもなく自明であろう。真の食の安全とはそういう問題である。

 厄介なのが、安部の本や講演にも、部分的に正しい内容が含まれていることだ。これがユダヤフリーメイソンの陰謀だとか、9・11はアメリカの自作自演だとか言えば、聴衆もドン引きするだろうが。トンデモもまともと受け取られてしまうのである。さすがトップセールスマン、人心掌握術には舌を巻くしかない。

 安部の講演は、「理科の実験」を髣髴させる「白い粉から豚骨スープ」の実演で知られる。「科学」を装った「ニセ科学の範疇に入れてよいと思われる。かの『水からの伝言』の江本勝も、菊池誠氏に見せてもらったビデオでは、「波動測定器」のパネルを映したり、白衣を着た研究者らしき人物が出てきたりして、科学に見せかけていたのだ。

 いつの日か、「安部司」で検索して、批判の方が目立つようになる時が来るまで。