『食品の裏側』をきちんと批判しておこう(再録)

 本家ブログに書いたものの再録だが、この稀代の嘘本についてきちんと批判した文書を、載せておく必要がある。

 松永和紀氏らによる、本書に対する批判の方を先に読んでいるので、読み方にバイアスがかかっているかもしれないが、それにしても、主張がダブルスタンダードに満ちた、まさに駄本。こんな「買ってはいけない」本、著者を印税で儲けさせるのはアホらしいので、図書館で借りてきたわけだが。

買ってはいけない』等の、これまでの添加物批判本と随分毛色が違うのは、食品添加物として用いられる、個々の物質の毒性や有害性、発ガン性に関しては全くといっていいほど言及していない点である。添加物が食文化を変えてしまった、というのであれば、それはあくまで「文化」の問題であって(これは高橋久仁子氏も著書で指摘している)、「食の安全」という「科学」の問題ではないよね。それならば、帯の「知れば怖くて食べられない」は、素晴らしい論理の飛躍。行間を読ませて、「添加物は危険」とイメージ的に刷り込みたいようだ。高橋氏がよく、宣伝文やキャッチコピーは絶対に行間を読んではいけないと言っているが、この本も同じ。書いている字面以上の解釈をしては、絶対にいけない。

私が主張したいのは、『添加物の情報公開』ということです(p6)

 医療や政治、金融の世界では情報公開が叫ばれています。
 しかし情報公開が必要なのは、食品業界も同じはず。医療も政治も、苦しみつつも古い体質を改めるべく変革の道を進んでいるというのに、食品業界だけが旧態依然とした体質を変えようとしていないのです(p124)

 じゃあ、「歩く添加物辞典」「食品添加物の神様」だというお前が率先して「情報公開」しろ。「本書には難しい毒性や化学記号などは一切出てきません(p8)」とはなんだ。具体的に物質を出せば、インターネットでいくらでも調べられる時代だ。それなのに、「食品添加物の物質名なんかわからなくていい」「『台所にないもの=食品添加物』という図式のもと、『裏』を見て、なるべく『台所にないもの』が入っていない食品を選ぶだけで(p188)」添加物を避けられるのだという。要するに、「1500種類以上の添加物(p34)」を知る必要はない、と言うわけである。

暮しの手帖』が1990年に、主婦とがんの疫学者を対象に行ったアンケートがあって、食品添加物や農薬について論じるときによく引用される。発がん性の因子としていくつか挙げて、どれがリスクが高いか問うたものだが、主婦は「食品添加物」と「農薬」が高くて「タバコ」はその次、一方、疫学者はというと、「ふつうの食事(に含まれる発ガン性物質)」「タバコ」が圧倒的に高く、「食品添加物」「農薬」は殆ど挙げられていない。専門家は、食品添加物や農薬が厳しい安全性評価のうえで用いられていることをよく知っているからである。

 個々の物質を知る必要はない、とは何とも大胆。定量的評価はもとより、定性的評価さえも要らないと言っているのだから。「『抵抗者』ははじめから無視し、『先覚者』を動かせば『素直な人』と『普通の人』がついてくる」という、船井幸雄のマーケティング論ではないが、科学者や懐疑論者は最初から無視して、ものごとをよく知らない素人を巧みに煽動しようとしているのではないだろうか。

 本書で取り上げられている「果糖ブドウ糖液糖」や、後述する「たんぱく加水分解物」は、国が決めている「食品添加物」には含まれない。「台所にないもの=食品添加物」と、国の定義から逸脱した勝手な定義をするとは、消費者を欺くものであるとしか言い様がない。

 ちなみに、松永氏によると、著者の講演では、「(添加物を避けるためには)自然食品しかないと思う」と言っているのだそうだ。この著者の現在の勤務先は、自然海塩の会社「最進の塩」。巻末の著者紹介では、何故か会社の電話番号とURLを載せている。普通、個人著作の本に会社の電話番号まで載せたりするか? 「塩のうまみは海のミネラル(p95)」というのも宣伝臭く思える。

「添加物の複合摂取」という問題(p59)

「複合摂取」の例として、清涼飲料水に保存料として添加される安息香酸塩と、酸化防止剤として添加されるビタミンC(L-アスコルビン酸)が反応してベンゼンが生成するということが問題視されたことがある(国内の製品を調査したところ、ダントツにベンゼン含有率が高かったのがDHCのアロエ健康飲料だったというのは皮肉。この製品は自主回収された)。しかし、ビタミンCはもとより安息香酸も天然の果実に存在する物質であり、「複合摂取」を問題提起するのであれば、添加物だけを槍玉に挙げるのはナンセンスである。

 そもそも、添加物の毒性や発ガン性のテストは、ネズミなどの動物を使って繰り返し行われます。添加物として使っていいかどうかや使用量の基準が、そのネズミでの実験結果にもとづき決められているのです。
「ネズミに、Aという添加物を100グラム使ったら死んでしまった。じゃあ、人間に使う場合は100分の1として、1グラムまでにしておこう」
 大雑把にいえば、そのように決めているのです(p60)

 完全な誤り。食品添加物や農薬の基準を決める際に根拠としているのは、実験動物を用いて、一生涯にわたって摂取しても「何の影響も出ない」量を導き出して、これを「無毒性量(NOAEL)」というが、それに安全係数100分の1をかけた量をヒトにおける「一日摂取許容量(ADI)」としているわけだ。決して「死んでしまった」量を基準にしているのではない。「その危険性や使用基準も、試験でもあれば満点を取れるほど、詳細に答えることができ(p34)」たというのが事実であれば、正しい基準の決め方は当然知っているはずで、嘘と知っていて言っている詐欺師ということになる。

(たんぱく加水分解物の製造で)そこで問題となるのは塩酸を使うこと。
 塩酸はいうまでもなく劇薬ですが、これを使うことによって「塩素化合物」ができてしまう恐れがあるのです。「塩素化合物」は、「たんぱく加水分解物」をつくるときの副産物といってよいものですが、発ガン性が疑われている物質です(p163)

 はぁ? 人間の胃液には塩酸が含まれているけど。何が言いたいのか。


食品に使われる「たんぱく加水分解物」って何ですか?(日本生協連)

 食品添加物であるグルタミン酸ナトリウムは親戚のようなものだが(実際、かつて味の素は大豆タンパクを塩酸で加水分解して作られていた)、「たんぱく加水分解物」は分類上「食品添加物」にはあたらない。

甘味料として使われる「サッカリン」は発ガン性を疑われていますし(p176)

 現在では、サッカリンの発ガン性は否定されている。

アスパルテーム」もフェニルケトン尿症などの問題があると言われています(p176)

買ってはいけない」でアスパルテームが散々叩かれたが、全く同じ誤謬。フェニルケトン尿症とはフェニルアラニン代謝出来ない、20万人に1人とされる先天性の病気であって、普通の人がアスパルテームを摂取して発症することは絶対にない。一部の人に良くないからダメだというのは、米や小麦(どちらにも食物アレルギーが存在する)を有害だと言っているのに等しい。

食べることは命をいただくこと

そこに「牛さんありがとう」という感謝の気持ちを持たなければいけないと思うのです(p209)

 そういうアンタは「ドロドロのクズ肉」に「廃鶏」なんて言ってるねぇ。

(自分の子供が『クズ肉』と添加物で作ったミートボールを食べていたことを知って)翌日、会社を辞めました(p46)

 思い立った翌日に会社を辞めるなど、社会人の常識からは有り得ない事(まさか懲戒解雇されたわけではないだろう)。会社を辞めるときには、前もって辞表を出した上で別の社員に引継ぐのが当たり前だろう? となると、ここでも嘘をついているということになる。

(付記:後の著書では「翌日辞表を出しました」になってるぞ、おい)

 とにかく、冒頭で挙げている、「『白い粉』から豚骨スープ」の実演といい、この人物からはテキ屋の臭いがプンプンする。それとも、神様ならぬ「添加物のゲッベルス」とでも呼ぼうか。この本を読むなら、松永和紀氏や高橋久仁子氏の著書を併せて読むべきである。